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【改訂版】大学院留学最初のセメスター その5

大学院留学最初のセメスター その4」の続きです。

 

留学中の授業への対処方法をこれまでいろいろと書いてきましたが、私自身すぐに教授やクラスメートが言っていることが分かるようになったり、自分の意見を発言できるようになったわけではありません。大学院留学最初のセメスターでは学期の真ん中ぐらいから以前よりも少しずつ対応できるようになっていきました。

 

ただし学生同士のグループでのディスカッションをしないクラスでは、自分の意見を述べるには自ら手を挙げて発言しなければなりません。一番最初に授業を受けたロシア人女性教授のクラスではグループワークがなかったため、私が授業中に発言できたのはセメスターの終わり近くになった頃でした。

 

そのクラスはクラス内での発言が成績の評価の10%を占めました。100点満点の10点中、私がもらったのはたったの2点。
(セメスターの最後の方で発言するようにならなかったらおそらく0点だったのでしょう。厳しい評価です)

 

このクラスでは学期末のプロジェクトとしてリサーチの結果のプレゼンテーションとペーパー提出が求められました。面白いリサーチトピックが見つかった私はこのクラスのリサーチに優先的に取り組むことにしました。このクラスの授業中、ほとんど発言できませんでしたが、リサーチのプレゼンテーションとペーパーに対して教授からクラスでトップレベルの評価をもらい自信を深められたことにより、次のセメスターではクラスに積極的に参加できるようになりました。

 

1月に始まった留学最初のセメスターは終了し夏休みに突入します。夏休みの6、7、8月では夏季に開講しているクラスを取らずに毎日大学の事務局のバイトをすることにしました。バイトは1日5、6時間くらい。一時帰国と旅行のそれぞれ1週間くらいの期間以外の平日はバイトに行っていました。

 

夏休みは人の出入りや電話も少なかったのですが、半年以上バイトを続けていると仕事にもかなり慣れてきました。また時間的余裕があったので同じバイト仲間のアメリカ人大学生に誘われ、Japan Clubというサークルの活動を手伝うことに。Japan Clubではフィラデルフィアの地元中学校を訪れ、講堂に集まった中学生たちを前に日本文化紹介プレゼンを行ったりしました。

 

相撲を紹介するプレゼンの後、中学生から「相撲は八百長(fixed)じゃないのか」という質問がありました。(両国生まれ両国育ち、実家から歩いて30秒のところに相撲部屋がある)私からの回答は

 

「力士同士はお互いによく知っており、お互いの地位維持のために、中には八百長が行われることもあるが、ほとんどはそうではない。」

 

その回答に対して、アメリカ人のプレゼン・パートナーには「八百長はないし、そのようなことは言うべきではない」と怒られました。
(後に相撲界での事件により私の発言は正しかったと社会的に証明されることになりますが、振り返ってみてアメリカ人の中学生たちに言うべきこともでもなかったと反省しています)

 

Japan Clubでの活動が縁で、秋学期からテンプル大学の日本語クラスのTeaching Assistant(TA)の仕事のお話をいただくことに。これにより2回目のセメスターである秋学期は大学院での授業に加え、日本語クラスのTAの仕事が週に3回くらい入りました。

 

日本語初級クラスの日本人TAは私を含め3人。初級クラスではTAそれぞれが小さなクラス(10人くらい)をもち、日本語での会話パターンの訓練を行います。授業ではできるだけ日本語を使うことが求められていましたが、文法等に関して英語で説明することも多くありました。また25名くらいの中級クラスでは他の日本人TAと会話パターンのデモや説明をしました。その他に日本語クラスを何度も見学させてもらったりと貴重な経験になりました。

 

また事務局の受付バイトも秋学期終了まで週に1回、3−4時間ほど続けました。この頃になるとバイト仲間の中で私の方が古株になり、必然的に電話も率先して取るようになりました。

 

そして秋学期を迎えたばかりの私が、自分の英語力に対してブレイクスルーを感じた出来事がありました。「大学院留学最初のセメスター その1」で書いた、私に衝撃を与えた、移民に英語をボランティアで教える団体のディレクターが再びロシア人教授に招かれ、新たなクラスにやって来ました。その人に会うのは1月以来。8ヶ月前、何を話しているのかほとんど理解できず、私に強烈なショックを与えた因縁の相手です。

 

ところが今度は彼が話してることがほぼ全部分かりました。それまでの8ヶ月で自分の聞き取り力が向上していることを実感。体が震えるくらい感動したのを覚えています。

 

幸先の良いスタートに気を良くしてか、2回目のセメスターは過酷であった1回目のセメスターとは異なり、非常に楽しいものとなりました。授業以外に日本語クラスのTA、事務局でのバイトとやることが非常に多かったのですが、以前に書いた手抜き作成が功を奏し、クラスでの発言も多くなりすべてのクラスでトップレベルの評価をもらうことができました。

 

留学はそれまで積み上げてきたものを脇におき丸腰で新たなスタートがきれる人生の貴重な機会です。「どん底に突き落とされて落ち込む」「プライドがズタズタにされる」ような経験は人生においてそうないはず。自分を一から見直し新たな自分を形成するチャンスと考えましょう。

 

忙しくも楽しかった2回目のセメスターの後、TESOL(英語教授法)プログラムを終了する前に日本に帰国することになります。
(帰国後、日本のテンプル大学のTESOLプログラムに戻り、そこで修士の学位を得ました)

 

私の留学期間は1年3ヶ月ほど。もっと長く滞在できれば自分の英語力をさらに伸ばせる確信はあったのですが、やりたいと思ったことは何でもやった期間ではあったので十分に達成感を感じて帰国できました。

 

厳しい現実にさらされ、その先にある希望が見えなくなってしまうことはあります。耐えられないくらい辛かったら少し逃げてもいいでしょう。
(実際に私も逃げましたが...)

 

でも戻ってくれば毎日少しずつでも得るものがあります。そこにとどまり続ければ必ず成長していきます。落ち込む気持ちを上手く誤魔化しながら希望を失わないようにしましょう。
あなたがその場にいるのは、あなたの優秀さを今通っている大学・大学院が認めたから。うまく行かないことがあっても自分の能力に自信を持って続けてください。苦労が報われる日は必ずやってきます。

 

「大学院留学最初のセメスター」は今回のその5で終了します。

 

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